<以下、インポーター資料>
ネゴシアンの家に生まれ、幼時からワインに触れ、ワインが持つ魔法に魅了されました。
初めてワインを飲んだのが7歳で、祖父はワインを買うたびに私に感想を求めてきました。
最近になって知りましたが、シュメール(文明)のワインの女神の名がJESTINであり、
私の誕生日である 9月14日が、かの有名なシャンパーニュの修道士ドン・ペリニョン)の命日であるとのこと。
これらは私がワインに魅せられた原点となっているかもしれません。
ランス、ボルドー、ディジョンの大学で、醸造学とワイン法を修めたのち、シャンパーニュ・デュヴァル・ルロワで、
醸造長(シェフ・ド・カーヴ)として働き始めました。当時24歳だった私は、10大シャンパーニュのメゾン中で
最も若い醸造長でした。 私は、シャンパーニュ・デュヴァル・ルロワが一流メゾンの仲間入りを果たせるよう、
幾年に渡ってさまざまな方向から試験的に取り組み続けてきました。醸造長として20数年間
がむしゃらに働いて感じたことは、大学で学んだことは素晴らしいワインを造るのに必要な知識ではあっても、
偉大なワインを造るには役に立たないということでした。 幼少のころから「生命の謎」について
強い関心を抱き、 ビオディナミをワインの醸造の過程で活かせないか勉強をはじめました。
栽培や家畜におけるビオディナミの活用についての文献はあっても、ワイン造りにまつわる文献はありませんでした。
ので、偉大なワインを造るための原則というべきものを新しく発見し、適応させる必要がありました。
30年にわたる探究の結果、これらの原則はシャンパーニュでも、ごく一部のワインをつくる際に
適用できることがはっきりとし、現在著作を準備中ですが、この本が世に出るかどうかは未定です。
なぜなら、この分野でも日を追うごとに進化が見られ、 出版された頃にはすでに古い情報が古びている惧れがあるからです。
大きな喜びと満足感が得られるのです。
ブノワ・マルゲは有機栽培に興味をもち、2004年にデュヴァル・ルロワ社でシェフ・ド・カーヴ(醸造長)を
務めていたエルヴェ・ジェスタンを訪ねました。以来、栽培・醸造の両面でエルヴェに導かれながら、
新たな道に開眼し、2006年から本格的に二人の共同作業が始まりました。歴史あるドメーヌの5代目であるブノワにとって、
有機栽培に転換することは大変な困難を伴いました。古いネゴシアンを経営する夫人の両親の 猛反対と、
マルゲ家内や親戚の反対という挟み撃ちは、グラン・クリュに広い畑を持つ古い家柄にありがちな困難なのですが、
ことは夫人との離婚にまで発展しました。にもかかわらすブノワは、あえて、売り易いが個性や品格に欠ける
凡庸なシャンパーニュ作りを脱し、同志エルヴェ・ジェスタンタンとともに、新たな可能性に向かって強く前進し始めたのです。
1957年ブルターニュ生まれ。実家はネゴシアン業を営む傍ら発泡性ワインを生産。
ランス、ボルドー、ディジョンの大学で、醸造学とワイン法を修めたのち1982年から2006年までデュヴァル・ルロワに勤め、
10大シャンパーニュのメゾン中で最も若い醸造長(シェフ・ド・カーヴ)となる。
退任後、シャンパーニュで醸造コンサルタントを始め、国際的に活躍。
2012年クロ・ド・キュミエールを購入してChampagne Jestinを興し、数年後にリリースを開始する予定
以上インポーター資料より抜粋しました。